マックスヴェーバー 現代への訴え
これから長い時間をかけて資本主義経済を紐解いていきます。
今まで読んだ本の中でも、マックスヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と精神は特にオススメです
資本主義社会が形成されていく過程と宗教的な変化(詳しく説明すると古くからのカトリック的な伝統主義からルターやカルヴァンを経て)を照らし合わせる時点で柔軟すぎる。
彼の主張は、商人たちを内面から動かしてる営利精神や営利原理といったものが、社会の到るところへ浸透した結果、近代資本主義が生まれた。との解釈は誤りである。営利精神は後から派生したものだと。
まあ中国の例をとってみれば分かりやすい。古くから西欧よりも中国の方がより商業的自由があったのにもかかわらず、資本主義経済は根付かなかった。逆に西欧においてはいち早く資本主義社会の土壌が生まれた。
更に深入りすると、カルヴィニズム(正確にはピューリタニズム)から生み出された「予定説」という概念がキーポイントになる。そこから内面的孤立化が生じ、更には個人主義へ帰結。
功利主義的な見方へと変化したとも言える。
神への報いに答える唯一の活動が"労働"であるとカルヴァン派は主張する。そうして、労働を「天職」と見なすことが近代の労働者の特徴となった。
ピューリタニズムを主張する者が国家的特権に立つ独占企業など"政府の権力"に抵抗した歴史に、より注視する必要があると思う。そこで天職概念に加え競争概念が生まれた、と僕は感じた。 長くなってしまったが、最後に本文を引用して終わりにしよう。グッとくるものがある。
「営利活動は〜今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住む者は誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、全く新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも、、まだ誰にも分からない。
こうした文化発展の最後に現れる"未人"たちにとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。
精神のない専門人 心情のない享楽人。これらは、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう、と。」P366
歴史を学ぶことには意義がある、と思える最適な例だろう。
ヴェーバーは今も、今後も、問いかけ続けるのだろうと思いつつ。
では