牛タンに愛を込めて
午後10時過ぎ、私は犯行を犯した。
知人からいただいた仙台名物牛タンを食してしまったのだ。
犯行動機は空腹と虚無感である。
私は昨夜、三人と後輩と飲んでいた。あまりの楽しさに酒が進み、いつものように外で騒ぎ、記憶を無くし、自己完結してしまった。今朝聞いたところによるとコンビニエンスストアで購入した葡萄酒をラッパ飲みし、すれ違う人に訳も分からない供述をし、彼らは手を焼いたそうだ。ありがとう。この場を借りて感謝する。以上のことはしばしば盃を交わす私の腹心からすると言わずと知れた行為だろうが、ここから先が面白い。
午前10時ごろ目を覚ますと、そこは全くの別世界であった。これまで一度も目にしたことのない綺麗なトイレで私は寝ていたのだ。そこは一緒に飲んでいた奴の家だった。そりゃ分からない訳だ。なんにしろ後輩の紹介で昨日初めて会ったのだから。にしても吐出を繰り返し、終いには便所で就寝とは、なんとも情けない。
しかし有意義な時間であった。彼らとはこれからも一杯をやるであろう。
そんなこんなで今日の私は酒が抜けきらず全国民から波乱の目を向けられるような生活を送っていたのだ。
これでお分りいただけただろう。私が言いたい虚無感というものが。誰しも一度は経験があるのではないか。私は毎回のようにこの虚無感とやらを感じでいる。 冒頭で犯行を犯したと述べたが、事案を鑑みると、今回の犯行には正当な理由があり、犯罪成立には至らないことになる。因みに本事案では"私が載せた写真に感化された読者がよだれを垂らし、彼らを夜食へと導く"といったことが想定され、"食欲増進を助長させた罪"としての訴追が考えられる。いわば飯テロ罪だ。構成要件要素は満たし、違法性段階では判例の立場(二元的行為無価値論)に立って考えてみると、社会的相当性は逸脱したと言えるが法益の侵害を認めることは疑わしい。そもそも本事案の法益とはなんだろう。"自由"がそれに該当するのだろうか。しかし権利の行使を妨害し、義務なきことを強制しているとは言い難い。貴方達の想像力で独りでに飲食を始めたのだから、私の投稿との因果関係を見出すことは不可能なはずだ。そもそもわたしには表現の自由がある。そうなると因果関係が認められず構成要件段階で阻却されることになるのか。
何にしろ、私は無罪だ。冤罪をかけないでいただきたい。
いやそれらは自意識過剰なことから生まれるだけであって、濡れ衣を着せているのはむしろ私の方なのかもしれない。
すまない 謝罪する。
尤も牛タンは最高に美味であり私を幸せにした。空腹と虚無感は全てこの牛の'舌部'により満たされた。これで気持ちよく寝れる。